F3C 世界選手権の記録

第一回F3C世界選手権競技会は1985年に開催されました。
これまでの記録を整理してみました。


第1回世界選手権大会
開催日 開催地 出場数 個人成績抜粋   団体成績
1985年
7月13日
〜7月19日
カナダ
ロンドン市
17カ国
36名
順 位 選手氏名 出場国 順 位 国 名
1 位 田屋 恵唯 日本 1位 日本
2 位 Edwald Heim 西ドイツ 2位 U.S.A
3 位 中島 厚 日本 3位 西ドイツ
4 位 永塚 吉昭 日本    
5 位 Robert Gorham U.S.A    
6 位 Ueli Muller スイス    
7 位 Clifford Hiatt U.S.A    
8 位 Daniele Graber スイス    
ひとりごと....
第1回ですので、それまで日本のF3Cを支えてきた選手は誰しも出たいわけで代表選手の
選抜会は異様な雰囲気だったとか。 
現在も現役選手は永塚選手だけですね。
     
第2回世界選手権大会
開催日 開催地 出場数 個人成績抜粋   団体成績
1987年
6月29日
〜7月4日
スイス
ベルン市
16カ国
37名 
順 位 選手氏名 出場国 順 位 国 名
1 位 Curtis Youngblood U.S.A 1位 日本
2 位 五百部 達也 日本 2位 U.S.A
3 位 Josef Brenstiner オーストリア 3位 西ドイツ
4位 Stefano Lucchi イタリア    
5 位 石川 静男 日本     
6 位 Robert Gorham U.S.A    
7 位 池田 哲郎 日本    
8 位 田屋 恵唯 シード    
ひとりごと.....
このときは、必須演技+選択演技方式のルールでした。  選択演技では難易度に応じた
係数があり、静演技動演技のどちらを主に選ぶかでも勝負の分かれ目となることもあります。
動演技では一発勝負のおそれがあり、同係数ならば静演技主体の方が有利なことがわかって
いますし、日本選手は静演技得意のはずなのに動演技の最高係数のものを選択したようです。
加えて、当時全くの無名の新人選手が静演技に固執し、オートロと540以外では練習でも
上空へ行かなかったとか。  結局その新人が勝ったわけです。  
日本選手が帰国後、あの選手は静はいいが動はだめだよと言っていたのを覚えています。 
でもアメリカに背面正面何でもござれの選手が現れ、その選手とあのときの新人が同一人物と
分かったのは帰国後すぐのことでした。 
もちろんその新人はカーチス・ヤングブラッド。    能あるタカは動かくす.....

第3回世界選手権大会
開催日 開催地 出場数 個人成績抜粋   団体成績
1989年
8月27日
〜9月3日
U.S.A
バージニア州
19カ国
41名
順 位 選手氏名 出場国 順 位 国 名
1 位 土橋 幸広 日本 1位 日本
2 位 泉水 和幸 日本 2位 U.S.A
3 位 Curtis Youngblood シ-ド 3位 西ドイツ
4 位 石川 静男 日本    
5 位 Robert Gorham U.S.A    
6 位 Edwald Heim 西ドイツ    
7 位 Leonard Mount イギリス    
8 位 Daniele Graber スイス    
ひとりごと...... 
アメリカにカーチスヤングブラッドありならば、ほぼ同年代の泉水、土橋の2人が一気に
日本のF3Cの頂点に駆け上がりました。
日本での1位、2位のバトルは世界戦の舞台にても展開されました。
結果は土橋選手が2.5ポイントの僅差で優勝。     

第4回世界選手権大会
開催日 開催地 出場数 個人成績抜粋   団体成績
1991年
10月20日
〜10月27日
オーストラリア
ワンガラッタ
16カ国
38名
順 位 選手氏名 出場国 順 位 国 名
1 位 泉水 和幸 日本 1位 U.S.A
2 位 Wayne Mann U.S.A 2位 日本
3 位 Curtis Youngblood U.S.A 3位 スイス
4 位 土橋 幸広 シード    
5 位 諏訪部 誠治 日本    
6 位 Robert Gorham U.S.A    
7 位 Daniele Graber スイス    
8 位 Josef Brennsteiner オーストリア    
9 位 池田 哲郎 日本    
ひとりごと...... 
前回の世界選手権までは泉水選手の機体は父・栄二氏がメカニックでした。
前回の世界戦から帰国直後、和幸氏は今後競技に関してはすべて自分で手がけることを
栄二氏に宣言。   
事実、このときから一切栄二氏は和幸氏の競技機体にはノータッチ。(KOMOが証人)
アメリカの世界戦帰国直後に独立宣言をしたことで、それから2ヶ月後の日本選手権は
もちろん自分で手がけた機体で出場しましたが、機体のトラブルも手伝って結果は5位と
初めてのシード落ちとなりました。   
しかし、翌年の選手権は東日本予選をぶっちぎりの1位で通過、本大会でも優勝
その勢いは止まらず、オーストラリアでも堂々の栄冠を勝ち取りました。

第5回世界選手権大会
開催日 開催地 出場数 個人成績抜粋   団体成績
1993年
9月20日
〜9月24日
オーストリア
フェルデン
27カ国
64名
順 位 選手氏名 出場国 順 位 国 名
1 位 Curtis Youngblood U.S.A 1位 U.S.A
2 位 泉水 和幸 シード 2位 日本
3 位 土橋 幸広 日本 3位 スイス
4 位 Daniele Graber スイス    
5 位 諏訪部 誠治 日本    
6 位 Wayne Mann U.S.A    
7 位 Heinz Gasser スイス    
8 位 石川 静男 日本    
この大会でも、ヤングブラッド、泉水、土橋の3若手の勢いは他を大きく引き離していました。
結果として、泉水選手の追撃は僅か数ポイント及ばずヤングブラッド選手が二度目の優勝を
果たしました。

第6回世界選手権大会
開催日 開催地 出場数 個人成績抜粋   団体成績
1995年
8月26日
〜9月2日
日本
岡山県笠岡
19カ国
2地域

49名
順 位 選手氏名 出場国 順 位 国 名
1 位 Clifford Hiatt U.S.A 1位 U.S.A
2 位 Curtis Youngblood シード 2位 日本
3 位 Wayne Mann U.S.A 3位 スイス
4 位 泉水 和幸 日本    
5 位 Dwight Shilling U.S.A    
6 位 土橋 幸広 日本    
7 位 Hans-Joerg Roessner ドイツ    
8 位 高柳 和幸 日本    
ひとりごと......
日本での世界選手権はF3C、F3Aとも初めて。  
大会運営にミスは許されず多くの方が準備に追われ、期間中も見事に世界選手権運営を
果たしました。(KOMOもF3C競技委員長補佐として参加しました)
外国での大会ならば、日本チームに同行しサポートにまわるはずのF3C関係者のほとんどが
大会運営に回っています。  日本での大会であっても、選手ミーティング、競技ルールなどの
公式アナウンスは英語です。   
結果として日本チームのサポートが手薄になったのは残念でした。
国内だという安心感か日本チームが今ひとつ乗り切れないようで、加えてアメリカチームの
勢い、勝ちに走る意気込みはすごいものでした。
予選ラウンドは今ひとつでしたが日本勢にも決勝ラウンドの戦い方では十分勝機は残って
いました。
決勝ラウンドに入る前日は競技は休み、大会役員のための休養日です。
選手はもちろん練習に出かけます。
休養日のため、KOMOは数名の役員の方々と半日四国までドライブに出かけました。
帰りの車中で、このまま日本チームの激励に行こうと話がまとまり(あまりおおっぴらに
選手と接触はまずいのですが)、向かうつもりでした。   
そこへ、泉水選手が一番機をトラブルで不時着大破させたとのニュースが飛び込み、
関係者一同一気に地獄に落とされた最悪の気分でした。
決勝ラウンドでもアメリカチームの勢いはすごいもので、個人、団体とも上位独占でした。
決勝で健闘したものの、日本チームは泉水選手の4位が最高でした。
大会運営が無事達成されたのはなによりでしたが、できれば日本勢に勝ってほしかったのが
本音です。
この大会で優勝したハイアット選手は第一回の世界選手権にも出場したベテラン選手。
かつて共に闘ったハイアット選手が優勝したのを田屋氏は我が事のように喜んでおられました。


第7回世界選手権大会
開催日 開催地 出場数 個人成績抜粋   団体成績
1997年
9月9日
〜9月12日
トルコ
アンカラ市
28カ国
62名
順 位 選手氏名 出場国 順 位 国 名
1 位 橋本 学 日本 1位 日本
2 位 Curtis Youngblood U.S.A 2位 U.S.A
3 位 泉水 和幸 日本 3位 スイス
4 位 小林 稔 日本    
5 位 Clifford Hiatt シード    
6 位 Wayne Mann U.S.A    
7 位 Patrick Kessler スイス    
8 位 Johann Hoenle ドイツ    
ひとりごと......
この大会も日本とアメリカの上位争いとなってしまいました。
前回の世界選手権(笠岡)で、ジャッジの目慣らしフライトとして参加された橋本選手は
その後日本選手権の優勝を果たし、日本代表に、小林選手も初参加でした。
予選、決勝ラウンドを通して、最後まで優勝者が見えないほど接戦を制したのは橋本選手。
日本チームは団体優勝も。

第8回世界選手権大会
開催日 開催地 出場数 個人成績抜粋   団体成績
1999年
8月12日
〜8月21日
ポーランド
ワルシャワ市
29カ国
75名 
順 位 選手氏名 出場国 順 位 国 名
1 位 橋本 学 日本 1 位 U.S.A
2 位 Curtis Youngblood U.S.A  2 位 日本
3 位 泉水 和幸 日本  3 位 ドイツ
4 位 Ruediger Feil ドイツ     
5 位 Wayne Mann U.S.A     
6 位 小林 実 日本     
7 位 国井 伸也 日本     
ひとりごと....
8回目にして初めて選手団に同行、現地からのレポートを行いました。

第9回世界選手権大会
2001年
9月4日
〜9月16日
U.S.A
マンシー
27カ国
 
個人成績抜粋 団体成績
順 位 選手氏名 出場国 順 位 国 名
1 位 Curtis Youngblood U.S.A 1 位 Japan
2 位 小林 実 日本  2 位 USA
3 位 土橋 幸広 日本  3 位 United Kingdom
4 位 泉水 和幸 日本    
5 位 橋本 学 日本    
ひとりごと..
現地から、タカさんがレポートを送ってくれました。

第10回世界選手権大会
2003年
5月29日
〜6月8日
日本/
石川県
?カ国 個人成績抜粋 団体成績
順 位 選手氏名 出場国 順 位 国 名
1 位   ?    1 位   ?
2 位   ?    2 位   
3 位   ?    3 位   ?
4 位   ?         
5 位   ?